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1959年6月の出来事から 

7日
  ミレーヌ・ドモンジョ、フランス文化施設団の一員として来日
25日
  長嶋茂雄、天覧試合でサヨナラ・ホームラン
27日
  松浦豊明、ロン・チボー国際音楽コンテスト(於パリ)のピアノ部門で第一位
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by musicsfukuoka | 2009-06-29 16:21 | 音楽

この道

 ウィーン少年合唱団が初めて日本に来たのは、
昭和30年(1955年)12月20日。
その後、1958年には映画「野ばら」が公開されて、
主題歌「野ばら」もヒットした。
ウィーン少年合唱団の2度目の来日は、
映画「野ばら」のヒットの熱もさめやらない
昭和34年(1959年)だった。
この来日を記念して
映画「いつか来た道」が制作され、出演した。
映画は高度経済成長が始まる直前の
山梨県甲府市郊外の葡萄園を舞台に
繰り広げられた音楽映画で、
両親を亡くした姉弟が一生懸命生きる姿を描いた。
姉役の山本富士子は、盲目の14歳の弟に
生きる自信をつけさせるために
ヴァイオリンを習わせた。
弟はウィーン少年合唱団を聴き、
感動して、合唱団のヨハンと文通を始めていた。
この映画の主題歌となった「この道」は、
ラジオのヒット・パレードには登場しなかったが、
6月から7月にかけてベスト・セラーになった。
主題歌「この道」はウィーン少年合唱団が録音し、
弟役で出演した和波孝禧の
ヴァイオリンもフィーチャーされた。
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by musicsfukuoka | 2009-06-22 18:37 | 音楽

ピッコリシマ・セレナーデ

 6月に「今週のベスト・テン」に
「ピッコリシマ・セレナーデ」が入ってきた。
ヒット・パレードに於ける
この曲の思い出は残っていないが、
私自身はレス・バクスターのレコードを持っていて、
好きな曲だった。
「今週のベスト・テン」では7位で
ベスト・テンに登場し、
翌週は2位まで上がり、
その翌週はベスト・テン圏外に去るという、
激しい動きをみせている。
「今週のベスト・テン」には
イタリアの女性歌手ユラ・デ・パルマの
レコードでヒットしている。
 私はその後もダリダや
グローリア・ラッソ、パーシー・フェイス楽団など、
お気に入りの歌手や楽団のレコードで
気に入っていた。
アメリカ、イギリス、イタリアなどでの
ヒットの記録はない。
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by musicsfukuoka | 2009-06-20 18:29 | 洋楽

ヴィーナス

 アメリカではナンバー・ワン・ヒットになった
フランキー・アヴァロンの「ヴィーナス」が
ヒット・パレードに登場した。
 当時の記録としては
ベスト・セラーズなどに関しては、
雑誌社が独自に調査したものくらいしか残っていないが、
東京を中心にしたリポートによると、
4月新譜として発売された
フランキー・アヴァロンの「ヴィーナス」は
5月にはベスト・セラーズ・チャートに登場している。
これは一部地方で放送されていた
FENのヒット・パレード番組により、
情報を得ていたと思われる。
FENは、東京の立川局をはじめ、
岩国、福岡、佐世保などに中継局があり、
主にアメリカ本国で制作された番組が、
日本で働く米兵を中心に、
アメリカ人に向けて放送されていた。
熱心な音楽ファンはこのFENを通して
日本の放送局で聞く前に、
情報や曲を聴いていた。ということが推測される。
 6月には「ユア・ヒット・パレード」に登場。
「今週のベスト・テン」に登場したのは7月だった。
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by musicsfukuoka | 2009-06-12 14:31 | 音楽

皇太子のタンゴ

 主にタンゴ(コンチネンタル・タンゴ)の演奏で
人気があったリカルド・サントス楽団は、
特に日本での人気が高かったために、
日本の古謡や民謡、童謡などを集めたアルバム
「ホリデイ・イン・ニッポン」、「ホリデイ・イン・ジャパン」を作って
ますます人気を高めた。
その人気を受けて1958年に初の日本公演を行った。
11月に行われた初の日本公演には、
当時の皇太子殿下(今の天皇)もお出かけになった。
リカルド・サントスは非常に感激し、
その後発表された皇太子の婚約のニュースを知ると、
すぐに作曲家ロタール・オリアスに依頼し、
録音されたのが「皇太子のタンゴ」。
 ラジオのヒット・パレードには登場しなかったが、
レコードはベスト・セラーになり、
3月から5月にかけて、ベスト・セラーズ・チャートを飾った。
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by musicsfukuoka | 2009-06-08 17:37 | 音楽