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ジョー・スタッフォードのレコード、CD

 トミー・ドーシー楽団の専属歌手や、
パイド・パイパーズのメンバーとして
1940年から活躍をはじめた
ジョー・スタッフォードは、
1944年からソロとしてヒットを出し始めた。
 ソロ時代には並行して、
フランキー・レインとのデュエットで8曲、
ゴードン・マクレエとのデュエットで10曲の
ヒットも放っている。
 レコードはパイド・パイパーズ時代からキャピトル、
1951年にはコロムビアに移籍している。
 1957年に最後のヒットを出して以来、
ヒットの記録はない。
 60年代にコロムビアとの契約が切れたのを機に、
コロムビアに吹き込んだ
自分の作品の権利を買い戻し、
夫のポール・ウエストンと一緒に
自分たちのレコード会社 Corinthian Records を作って、
オリジナル・フォームでの発売を中心に、
新たなコンピレイションや、
数は少ないが、新しく録音も行っている。
 これらの作品は独自のルートで販売していたために、
長い間、日本ではジョー・スタッフォードの
コロムビア時代の作品は手に入らなかった。
 ソニーが独自に契約し、
CBS~コロムビアのレーベルで発売したので、
イメージも壊れず、
貴重な作品群が手に入るようになった。
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by musicsfukuoka | 2006-02-27 16:33 | オールディーズ

明日にまた

 ソロになってからヒットを出し始めたのが1944年、
1951年にはキャピトル・レコードから
コロムビア・レコードに移った
ヴェテラン歌手、ジョー・スタッフォードが
1956年に放ったヒットが
「明日にまた」。

 1944年以来、
100曲近いヒットを出した
ジョー・スタッフォード
後期のヒットということになる。
 日本では2月に
ヒット・パレードに登場したこの曲は
夫であるポール・ウエストン楽団の伴奏。
日本ではアメリカ盤とは異なる
カップリングで、
ミンディ・カースンの
「想い出をつくりて Memories Are Made Of This」の
B面として発売された。
 B面ながら5月には
最高3位まで上がるヒットになった。
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by musicsfukuoka | 2006-02-26 16:13 | オールディーズ

「バラの刺青」の個人的な想い出

 日本では大ヒットになったペリー・コモの「バラの刺青」だったが、
アメリカでは大したヒットにならず、79位に止まった

 私は熱心にポップスを聞くようになって、
まだ、あまり熱心でなかったころの音楽に
大いに興味を持つようになった。
 曲は聞き覚えがあるがタイトルを知らない、
演奏者を知らないというのが多かったが、
それもやがて判明する。
 そんな中で、特にヒットが多かった
ペリー・コモやエディ・フィッシャー、
ドリス・デイやローズマリー・クルーニーは
大好きになった。

 ラジオの仕事をするようになって、
最新ロック・アーティストのコンサートは
数多く体験したが、
私がポップスを聞き始めたころの
アーティストはほとんど見たことがなかった。
 ニール・セダカなどまだ頑張っていた
アーティストもいたが、
「雨に微笑みを」以降で、
スタイルが大きくかわっていた。
そんな中でペリー・コモの念願の
日本初コンサートを体験した。
 60年代初頭に活躍したアーティストの
ライヴは気にはなっていたが、
ぜひみたいという気はそれほどなかった。
しかし、ペリー・コモやフランク・シナトラや
ドリス・デイなど、単なるポップ歌手ではない人たちの
コンサートはぜひみたいと思っていた。
 
 ペリー・コモのコンサートでは、
勿論日本で大ヒットの「バラの刺青」も
プログラムに組み込まれていたが、
アメリカではたいしたヒットではなかったので、
ほとんど歌うこともなかったのだろう。
この曲の番になると
「こんな曲を歌ったことさえ忘れていた。
曲を覚えていない」ということで、
この曲の伴奏にあわせて、
紙に書いた歌詞を読むという
パフォーマンスをしてみせた。
 なにしろヒット曲だけで
150曲ほどあるペリー・コモのこと。
納得してこのシーンを楽しんだことを思い出す。
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by musicsfukuoka | 2006-02-20 14:35 | オールディーズ

バラの刺青

 1956年2月にヒット・パレードに登場した曲の中で
1956年度の年間総合順位でも
7位の好成績を残したのがペリー・コモの「バラの刺青」。
2月はヒット・パレードにようやく登場という感じで、
下位に低迷していたが、3月に入ると急上昇し、
4月5月は2位まで上がる大ヒットになった。
 1956年はなにしろ「エデンの東」という
マンモス・ヒットがあったために
2位で押さえつけられたが、
それでも8週間2位を守った。

 4月にアンナ・マニャーニ、バート・ランカスター主演の
映画「バラの刺青」が公開された。
この映画の音楽はアレックス・ノースが担当した。
ペリー・コモが歌う「バラの刺青」は
ジャック・ブルックス作詞、
ハリー・ウォーレン作曲になるもので、
映画とは直接関係がなく、
映画にインスパイアされて作られたものだった。
しかし、映画がこの曲のヒットの後押しをした形となった。 
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by musicsfukuoka | 2006-02-19 15:31 | オールディーズ

1956年2月の出来事から

2月6日、新潮社、出版社として初めての週刊誌「週刊新潮」を創刊。

 週刊誌の時代がスタートしました。
週刊誌といってもニュース中心、
これに対抗してさえ、連載小説など中心の「週刊新潮」でしたが、
これが成功。
この成功をきっかけに翌年以降「週刊女性」、
「女性自身」、「週刊明星」、「週刊大衆」、
「週刊実話」などが大ブームとなり、
さらに「朝日ジャーナル」、「週刊現代」、「週刊文春」、
「週刊平凡」などの登場を促しました。

このページはミュージックス福岡の大薗が作っています。
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通信販売も行っています。
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by musicsfukuoka | 2006-02-18 15:55 | オールディーズ

忘れ去られた名曲

 1956年2月のヒットで忘れられない曲がある。
個人的な思い出としては、
ラジオでよく聞いていたし、
江利チエミもカヴァーし、
NHKの紅白歌合戦でも歌うなど、
大ヒットした印象があるが、
後に記録を集計してみると、
それほど大ヒットではない。
しかし、人々の記憶から忘れ去られてしまうには
もったいない素晴らしい曲なのである。

 その曲とは「お転婆キキ」。
歌ったのはベッティ・クルーニー。
ローズマリー・クルーニーの妹で、
映画俳優ジョージ・クルーニーのお母さん。

 曲は「恋はみずいろ」などの作曲で知られる
アンドレ・ポップが1955年に作曲した
シャンソン「ポルトガルの洗濯女」が原曲で、
ジャクリーヌ・フランソワで有名になり、
日本でもイヴェット・ジローなどのレコードもヒットしている。
この曲がアメリカに渡り、
英語詞がついて「お転婆キキ」となって
日本にも入ってきた。
レコードはS盤で発売された。
伴奏はゴードン・ジェンキンス楽団。
カッブリングされた曲は同じ「お転婆キキ」で
ユーゴー・ウインターハルター楽団が
コーラスを伴って演奏したものだった。
 かつてソニーが「CDクラブ」の中で
「ザ・ベスト・オヴ・ユーゴー・ウインターハルター」を発売したとき、
この選曲、解説を担当させてもらったが、
念願の「お転婆キキ」を収録できた。
勿論初CD化だった。
しかし、本命のベッティ・クルーニーは
CD化されたことがない。

アナログ時代も、ほとんど復刻されたことはない。
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by musicsfukuoka | 2006-02-16 15:55 | オールディーズ

16トン

 アメリカでのチャート・インから3ヶ月遅れで、
テネシー・アーニー・フォードのユニークなヒット曲
「16トン」が日本のヒット・パレードにも登場してきた。
この「16トン」はキャピトル・レコードから発売された。

 キャピトル・レコードは
日本の真珠湾攻撃から6ヶ月ほど後の
1942年7月に創立している。
つまり第二次世界大戦中のことである。

 戦後、復興なったキング・レコードが
この新興のキャピトル・レコードと契約を結んだ。
しかし、1955年にキャピトル・レコードは
EMIの傘下に入り、
またこの年発足した東芝
(はじめは東芝音楽工業、後東芝EMI)が
EMIと契約したこともあって、
キャピトルの発売権は5年ほどで、
キングから東芝に移った。

 「16トン」は初回はキング・レコードが出している。
日本でのヒットはキング時代のキャピトル盤である。
SPレコード番号、Z-422、ドーナッツ盤、CEC-11。
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by musicsfukuoka | 2006-02-14 15:52 | オールディーズ

シャンソン

 50年代前半のシャンソンのレコードは、
フランス、パテ・レコード原盤は、
日本コロムビからコロムビアのレーベルで発売されていた。
東芝がレコード販売を始めると、
パテ・レコード原盤は東芝の
エンジェル・レーベルで発売されるようになった。
 50年代後半、東芝は
シャンソンだけを発売するシリーズ、
OM-5000(シングル)、PM-5000(シングル)、
HW-5000(25cmLP)、PW-1000(25cmLP)、
PV-1000(30cmLP)などを作ったほどだった。
他に東芝はアルゼンチン・タンゴ専門のシリーズも作っており、
この時代のシャンソン、タンゴの評価の大きさがわかる。
シャンソンは東芝の独走の感じだが、
フィリップス音源からもヒットが生まれている。

 50年代はまだ日本では
フィリップス・レーベルは存在せず、
この音源は日本コロムビアが発売していた
エピック・レコードを通じてエピック・レーベルで発売された。

 ところでイヴ・モンタンだが、
日本でよく知られている代表作は
エンジェルから発売されているが、
フィリップス・レーベルにも録音がある。
吹き込み時代は新しいようだが、
移籍なのかどうか分からない。
 シャンソンの詳しい専門書もあるが、
こうしたレーベル関係の解説がほとんどなく、
不明である。
 なお、イヴ・モンタンに関しては
フィリップス音源でないエピック音源も存在するが、
このあたりの事情もわからない。
 日本でも人気があった
イヴェット・ジローも50年代前半の代表作は
エンジェルから発売されたが、
60年代初期のヒットはフィリップスにあり、
日本でフィリップス・レーベルが登場した時、
日本ビクター(後、日本フォノグラム)から発売されたが、
その後の録音は再び東芝
(このころはエンジェル・レーベルは
クラシック専門のレーベルとなり、
ポップスはオデオン~EMIに変った)から発売されている。
また日本コロムビアのエピック・レーベルからも
イヴェット・ジローの作品は出たことがある。
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by musicsfukuoka | 2006-02-11 18:01 | オールディーズ

歴史

 1945年(昭和20年)8月15日、
日本の無条件降伏・ポツダム宣言受諾によって、
不幸な第二次世界大戦がやっと終わりました。
 広島、長崎をはじめ、
日本のいたるところは焼け野原となり、
回復するまでには
相当な年月がかかるだろうと予想されましたが、
勤勉な日本人はこの状況に負けることなく
立ち上がりました。
 それを一押しも二押しもしたのは音楽でした。

 1945年の10月には
早くも歌謡曲「リンゴの歌」が大ヒットしました。
吹き込み制作もままならず、
レコードなど、庶民には高嶺の花だった時代、
空襲警報を聞くための必需品だった
ラジオによって、
「リンゴの歌」は全国に広がっていきました。
 この歌は戦争で傷ついた人々の心を慰め、
希望を与える役割を果たしました。

 このころ幸運にも仕事を見つけることが出来た
サラリーマンの給料が
300~500円だったといいますが、
りんごは3つで10円。
庶民にはとても手の届くものではありませんでした。
それでも歌に励まされ、
人々は逞しく立ち上がりました。

 「リンゴの歌」がヒットをはじめた10月、
第一回宝くじが発売されています。
1枚10円。1等は10万円でした。
11月にはプロ野球が復活。

 レコードも10月に
コロムビアがプレスを再開しました。
工場を空襲で失っていたビクターは
翌1946年の10月再開しました。
しかし、レコードは贅沢品と見なされ、
原材料は生活必需品の方に
優先して回されたため、
思うように生産できませんでした。
1947年(昭和22年)暮現在、
レコード5社で月間プレス枚数は90万枚。
うち洋楽は15%程度でした。
 さらにレコード会社は資金不足のため、
新しい契約が出来ず、
洋楽は、しばらくは戦前に輸入した
原盤を使ってのプレスでした。

 1951年には国産のヴィニールの生産がはじまり、
この年、コロムビアは初めて
LPレコードを発売しています。
 外国との新たな契約も結ぶことが出来、
洋楽の第1弾は、コロムビアは1949年、
ビクターは1950年に発売されました。
 こうして状況は少しずつでしたが改善されていきました。
1951年にはラジオの民放が開局、
1955年になるとレコードの月産プレス枚数も
120万枚ほどになりました。

 1955年中期以降、
ラジオでヒット・パレードがはじまりました。
このころは、音楽のヒットはレコードより
ラジオによって生まれました。
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by musicsfukuoka | 2006-02-06 16:03 | オールディーズ

イヴ・モンタン

  1956年の日本のヒット・パレードは
映画音楽が強かったのですが、
マンボ・ブームを受けて、
マンボやチャ・チャ・チャのラテンや、
グレン・ミラー、ベニー・グッドマンなどの
ジャズも人気を得ていました。

 それに加えてシャンソンも人気がありました。
2月にヒット・パレードに登場したのは
イヴ・モンタンでした。
ヒットしたのは「パリのバラット」(OH-5012~SP盤)と
「ひまわり」(OH-5013~SP盤)。
どちらも映画の主題歌で、
「パリのバラッド」は映画「われら巴里ッ子」、
「ひまわり」は映画「失われた思い出」の主題歌でした。
「パリのバラッド」はその後、
何度もイヴ・モンダンのベスト・アルバム等に収録され、
CD化もなされていますが、
「ひまわり」は
イヴ・モンタンの代表作であり、
シャンソンの代名詞的名曲である
「枯葉」を作った作詞家ジャック・プレヴェールと
作曲家ジョゼフ・コスマによる佳曲ですが、
SP盤の他は、LP初期に、
25cmLPに収録されたきりで、
以後はどういうわけか、
復刻されていません。
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by musicsfukuoka | 2006-02-05 16:51 | オールディーズ